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    「志通信」メールマガジン                  2000年2月 VOL.22

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■挑戦

一月の成人の日に、NHKで「私はあきらめない!・若き主役たちの挑戦」というテーマのドキュメンタリー番組がありました。内容としては、サッカーの中澤佑二選手や水泳の千葉すず選手、スケートの堀井学選手などの若手選手に加え、最年長42歳のプロ野球選手として活躍した山本和範選手等スポーツ選手の挑戦を取り上げていたのですが、中でも一番感動したのは、陸上(競歩)の板倉美紀選手の話でした。
板倉選手は、バルセロナオリンピック当時日本最高記録を保持し、日本のエースとして活躍していましたが、今から約8年前、高校生の時に後方から走ってきた大型トラックの前後輪両方に轢かれ、10箇所以上を骨折して肺に肋骨が突き刺さり呼吸困難に陥るという大変なケガを負ってしまいます。
普通であれば、即死しているところですが、幸いにして内臓の破裂がなかったため、奇跡的に一命を取り留めます。彼女の意識が回復したのは手術から4日後のことで、呼吸器をつけているため会話ができる状態ではなかったのですが、文字が並んだ表を指差して家族に伝えたのは、「走りたい」という熱い想いでした。
しかしながら、そんな彼女の想いとは裏腹に、当時は誰もが車椅子生活を強いられるであろうと考えていました。競歩どころか歩けるようになるとさえ思っていなかったそうです。
しかしその一ヶ月後、「どうしてももう一度オリンピックへ」という想いを胸に、板倉選手は周囲の反対を振り切って歩き始めます。コーチの家に寝泊りし、レースへの復帰をめざして練習を積み重ねたのです。

それから半年後、事故に遭って以来初めてのレースに臨みます。痛々しい傷が体中に残っていましたが、祖母の「その傷はあなたの誇りよ」という言葉に勇気付けられ、若い彼女はジャージを脱ぎ痛々しい傷をさらけ出すことによって自らを奮い立たせたのです。
このレースでは、一気にトップに立って独走し優勝することができるのですが、骨折の後遺症で右足に激痛が残ってしまいます。さらにその後のレースでは、痛む右足をかばってフォームが乱れてしまい、途中失格が増え、それまで滅多に泣き言を言ったことのなかった板倉選手も、この時ばかりは弱音を吐いたそうです。
その後痛みが悪化し、練習さえできない状態に陥ります。更に右足の人工じん帯が拒絶反応を示すため、何度も手術を繰り返すことになります。
このような状況の中で彼女が気付いたのは、つらいのは自分だけではなく家族も同様であること、また自分がオリンピックに出場することこそが、本当の意味でケガを克服することになると信じて再度オリンピックをめざすのです。しかし運命の女神が見放したのか、大事な予選の直前に歩くことさえできなくなってしまいます。結局予選の一週間前に手術を受けてレースに参加するのですが、スタートから3kmほどのところで力尽き、泣き崩れてしまいます。

その後はオリンピック候補として名前が挙がることもなくなってしまいますが、それでもあきらめることなく、シドニーオリンピックを前にした昨年、彼女は酸素の薄いメキシコに渡りトレーニングを開始します。決して足の状態は良くなかったのですが、どうしてもあきらめることができなかったのです。
メキシコから帰国した後も、甘えが出ないよう一切家族にも会うことなく練習を続け、オリンピックの代表選考会に臨みます。このレースではスタートからトップに立ちますが、決して調子が良かったわけではなく、一か八か行けるところまで行こうという危険な賭けでした。その矢先、あろうことか彼女のシューズが脱げてしまいます。というのも、事故の影響で以前よりも右足が小さくなっており、ゆるくなったシューズを他の選手に踏まれてしまったのです。

このアクシデントがレースにおいて大きなハンディとなりますが、彼女は残り半分で再びトップに立ちます。そしてライバルに抜かれ、また抜き返すという壮絶なトップ争いの末、7年ぶりの優勝を勝ち取るのです。


■あきらめない

一見おっとりした板倉選手が、どうしてここまで頑張れるのでしょうか? 彼女と同じ境遇で、同じ行動を取ることができる人が果たして何人いるのでしょうか?
本人曰く、17歳の時にバルセロナで得た自信と、祖母からの「どんなにつらいことがあってもあきらめないこと、何としても乗り切ること」という教えが原点だそうです。
彼女を支えてきた家族は、彼女のケガとそれを克服していくプロセスを通して「あきらめないこと、何としても乗り切ることを身を持って教えてもらった。」と言われています。
板倉選手や先月号でお伝えしたマゼランから学ぶべきことは、「何かを為す」とは、「あきらめないこと」であり、自らの課題に対し最後まであきらめずに取り組むことが、「自分なりに一隅を照らす」ということではないでしょうか。


■編集後記

仕事柄家にいることは少なく、また最近はつまらない番組が多いためにニュース以外のテレビ番組を見る機会が激減していますが、ご紹介した番組は久しぶりに見応えのあるものでした。
人物を育て、より良い社会創りを進める上で、メディアの担う役割や影響は少なくありません。私たちは番組を作ることはできませんが、せめて選択することによって意思表示をしていきたいと思います。

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